大切な思い出たちを大急ぎで箱に詰めたよ
いつ開けるとも知れない、たくさんの箱
これらを安全な場所へ運んだら
やっと少し、息がつける
あの日からすっかりかわってしまった
全く別の世界に投げ出されてしまったから
毎日戸惑うばかりだよ
君のいない世界
私に残された時間
終わりが来るまでの待ち時間
こんどは何をして過ごそうか
最後にスタジオへ入ったのは2月だったろうか。新曲を作っていた。ひとつはもう詩ができて、宇宙語からちゃんとした歌になった。あの日、なんだかギターの歪みがいつもよりちょっときついかな、なんて思ったのを覚えている。もしかしたら、彼の身体の痛みが、無意識にギターを通して訴えかけていたのかもしれない。
バンドで知り合った人たちが、お別れ会をしてくれるという。バンド活動をするために尽力してきた彼を、ちゃんと見てくれていたんだと思う。最も身近であるはずの私は、いろいろなことが当たり前のようになってしまっていて、実はたくさんのことを見落としていたかもしれない。でももう、ひとまず考え事はやめよう。
お別れ会で流せるような動画などがないかだろうか聞かれて、あることはあるのだけれど、今の自分には適切な選択もできそうにないから、you tubeにあるものでよければ使ってくださいと伝えた。
私はここから引っ越す予定で、来る日も来る日も思い出の品々を選別しては梱包していた。毎日、ふとした瞬間に悲しみに襲われ、泣き崩れている。ひとしきり嘆いて収まったら、続きを再開する。グリーフケアという言葉を知り、それは当然なんだと自分に言い聞かせて平静を保つように仕向ける。
パソコンの中にある、たくさんの写真や動画のデータ、その大半が、バンド活動のものだということは分かっていた。もうメモリーがいっぱいになってきていて、どうにかしないと編集作業なんかもやりにくいという状況だった。動画編集にはいつも悪戦苦闘していた。
ともかく、引越で万が一、パソコンが壊れてしまっても困らないように、大切なデータをコピーしておく必要がある。正直、私もそういう方面は不得意なのだが、なんとかUSBメモリーというものに辿り着き、そこへ保管することは出来た。それを私のチープなクロームブックに差し込み、閲覧することもできる。が、そこまでだ。そして、私としてはそれで十分なのだ。
荷造りも目処が立ってきて、少し退屈になってきたので、思い出のデータを見ることにした。たしか、スタジオの練習風景で、まだ見ていなかったものがあったので、それを見てみることにした。
彼が買った、ちいさな広角カメラで録られた練習風景。私も、彼も、もうひとりも、ちゃんと画面に収まっている。そういうことに一番気を配るのが彼だった。私だとなんだか偏った撮れになるし、もうひとりに至ってはそういう作業をまず、やらない。だからやっぱり、彼がこのバンドのリーダーだった。私に向かって冗談で「リーダーはあんたで」なんて言ってたことが懐かしく思い出される。
スタジオの練習動画を再生したら彼に会えた。なんだ、ここに居たんだね。居てくれてありがとう。そして、撮っておいてくれてありがとう。もしこれが生前なら、「こんなもん見たってしゃあないでしょ」「毎週なにも変化ないでしょ」「この動画、要るの?」とか言うのだろうけども。
録画のおかげで、スタジオ時間へとタイムトリップしてみて気付いたこと。私達は、バンドをやり続けることによって、まず第一に自分たちが癒やされたし、楽しめて、満足を得ていた。それはコロナ期とそれ以降、それまでとは全く状況が変わり、スタジオへ行くことにもストレスを感じ、出かけるのがかなり億劫になっていた時でさえ、そうだった。
スマホのグーグルカレンダーが、今日がライブの日だったということを知らせてくれた。